学校教育への疑問

現行の学校教育制度についての考察。

情報教育

ICT推進だが学校ではスマフォの禁止など逆行しているところが多い(無論無線LANの環境構築はほとんど進んでいない)(学校教育で情報教育を受けていない教員の方が圧倒的に多いので指導できない(データを取る必要あり)

 

教員レベルでなく専門的な立場で教員に情報教育をする人材が必要

 

またAIと人間の共存時代において産業に従事する奴隷(言い方は悪いが)を生み出すための教育は学校経営の未来と教員、生徒、親にとっても不幸を招く結果になると確信している。

 

AIの話に少し触れると、人に変わる知能を持ったコンピュータは圧倒的に事務的な仕事やそのほかやらなければいけなかった仕事を代替えしてくれる。これは明らかにメリットでありその時代に奴隷は必要ない。が、やっていることは奴隷教育である。(全ての学校そうであるわけではないが、少なくともスピード感は社会のスピードに比べて圧倒的に遅い)

自分の世界を世界に

こんばんわ。

 

自分の世界を表現するにあたって大切なことは、自分を信じる、リラックスするこの2点であると考えています。

 

誰でも自分の世界を表現したいでしょう。リラックスできる環境で、自分を信じてその世界を表現すれば目の前は確実に変わっていくことでしょう。

お金について

お金についての教育は大切である。

しかしお金についての教育はほとんどの教育機関で行われていない。

 

お金を稼ぐための職業も重要であるが、それだけではお金は十分に稼げない人が大半である。

 

全てはお金に関する無知が原因で、お金の話を避ける文化はお金を遠ざける大きな要因になることであろう。

 

自分の趣味についての話をしなければ、自分の趣味に関する知識を集めなければ、趣味は向上しないし、成長もない。

 

お金も同じで、お金は諸悪の根源という文化が人々をお金から遠ざけているのではないでしょうか?

空観・仮観・中観

空観・・・悟ということ、未来によって現実世界は違う、絶対そうだということはない

仮観・・・物理世界を肯定的に捉える

中観・・・仮観に頼りすぎる→生きることの本質からかけ離れる

     空観に頼りすぎる→現実世界からかけ離れすぎて生活ができなくなる

     中観によって仮観と空間を行ったり来たりしながら、第三の道を選択する

 

中観によってバランスを保っていくことが重要。

民主主義と資本主義について

民主主義はより多くの人に支持される、人気者になるというゴール。資本主義はお金持ちになるというゴール。頑張った一部の人(もしくは頑張った順からといった方が正しいかもしれない)がお金持ちになるという世界を目指す資本主義。多くの人の平等な幸せを目指す民主主義。

 

民主主義であり、資本主義である日本はこの矛盾するゴールを目指しバランスをとりながらその世界観を表現していると言えるのではないだろうか。

年齢に囚われる

年齢という文化に囚われていると最近感じた。

 

そもそも、年齢による差というのは生まれてから現在までの時間の差である。

 

その年齢の差を重視するのは学校の学年、大半の日本の職場で上司部下の関係性がある時であるが、学校の学年制という文化が自らに学年で差があって当然という解釈を生んでいると閃き、そのことによって自分の成長を会社の成長をストップさせているのでるないかと思った。

教育について

日本の教育について考えを書いてみようと思う。

 

日本の教育を考えた時に、「義務教育」という言葉が必ず出てくる。では、教育を受けさせる義務は誰が持っているのか、それは親だ。

 

子供には権利として教育が保証されているが、義務として教育があるわけではない。

 

これはどういうことか・・・子供は学校に行く権利はあるが、いかなければいけないということはなく、自分で選ぶことができるということだ。

しかし、親は子供に教育を受けされせる義務がある。

親は子供を産む前にこのことを認識している必要がある。日本にいる限りは。

個人的には面白いと思う。子供に学校へ行く義務はない。親としては行かせる義務がある。矛盾している。

 

小、中、高等学校で使用される教科書について考えてみたい。この学校で使われる教科書は文部科学省の検定を合格した物しか使用することができない。これはすなわち、何かの基準があるということである。この基準は学問の自由という点で矛盾を生んでいる可能性がある。社会の科目で「日本は戦争を起こした悪い国」だったと教えられた。(あまり勉強をしてこなかったので漠然とそう教えられたと思っているだけかもしれないが)これは第二次世界大戦を見る立場によって解釈は異なるはずである。それをアメリカに敗戦した日本が自国を悪い国で米国に対して悪いというイメージがないのは教科書を作る段階で戦勝国のアメリカの意図している部分があると感じる。原爆を投下をしなくても米国は勝つことができたはずである。人体実験としての原爆投下だったと考えることもできる。

そういう視点を持ち合わせることが現在の教科書ではできないようになっているのではないか?ちょっとした疑問だ!

 

詰め込み型ではない思考型教育を考えた時にその矛盾に取り組む必要があると私は思う。