年齢に囚われる

年齢という文化に囚われていると最近感じた。

 

そもそも、年齢による差というのは生まれてから現在までの時間の差である。

 

その年齢の差を重視するのは学校の学年、大半の日本の職場で上司部下の関係性がある時であるが、学校の学年制という文化が自らに学年で差があって当然という解釈を生んでいると閃き、そのことによって自分の成長を会社の成長をストップさせているのでるないかと思った。

教育について

日本の教育について考えを書いてみようと思う。

 

日本の教育を考えた時に、「義務教育」という言葉が必ず出てくる。では、教育を受けさせる義務は誰が持っているのか、それは親だ。

 

子供には権利として教育が保証されているが、義務として教育があるわけではない。

 

これはどういうことか・・・子供は学校に行く権利はあるが、いかなければいけないということはなく、自分で選ぶことができるということだ。

しかし、親は子供に教育を受けされせる義務がある。

親は子供を産む前にこのことを認識している必要がある。日本にいる限りは。

個人的には面白いと思う。子供に学校へ行く義務はない。親としては行かせる義務がある。矛盾している。

 

小、中、高等学校で使用される教科書について考えてみたい。この学校で使われる教科書は文部科学省の検定を合格した物しか使用することができない。これはすなわち、何かの基準があるということである。この基準は学問の自由という点で矛盾を生んでいる可能性がある。社会の科目で「日本は戦争を起こした悪い国」だったと教えられた。(あまり勉強をしてこなかったので漠然とそう教えられたと思っているだけかもしれないが)これは第二次世界大戦を見る立場によって解釈は異なるはずである。それをアメリカに敗戦した日本が自国を悪い国で米国に対して悪いというイメージがないのは教科書を作る段階で戦勝国のアメリカの意図している部分があると感じる。原爆を投下をしなくても米国は勝つことができたはずである。人体実験としての原爆投下だったと考えることもできる。

そういう視点を持ち合わせることが現在の教科書ではできないようになっているのではないか?ちょっとした疑問だ!

 

詰め込み型ではない思考型教育を考えた時にその矛盾に取り組む必要があると私は思う。

 

 

睡眠について

日常における睡眠。

 

何気なく睡眠をとっていましたが最近睡眠について考えるキッカケがあったので書いてみます。

 

最近、Googleなどで取り入れられているマインドフルネス。これは日本人が身近に感じることが多いと思う(個人的に)坐禅を科学的に分析し脳機能を向上させる効果があると証明されて海外で流行した?している?ものである。

 

マインドフルネスはいわゆる瞑想であり、その瞑想状態は人間にとってリラックスしており脳機能の向上に役立つというわけだ。

 

そんな瞑想状態に正しい眠りをすることで毎日なることができるということである。

 

具体的な方法は、光や音シャットアウトする、逆腹式呼吸をするといったものだ。この方法を実践(他にも夜寝るための朝の起き方などあるが省略)したところ明らかに1日の頭の冴え方が変わったのは私の中で事実である。

 

個々人で様々なストレスを抱える要因はあると思うが、多くの人が睡眠時間、睡眠の質の低下によって日中のストレスを解消できない、もしくは睡眠によって逆にストレス増加させてしまっているかもしれない。

 

個人的な体験であるが正しい眠りを獲得することは人生に大きなアドバンテージをもたらしてくれると感じたので、読者にも睡眠について考えるきっかけになれば幸いである。科学者でもないので詳しい知識はたくさんあると思うので自分で収集してみてください。

ブログ開始

ブログ開始しました。

日常で学んだこと疑問に思ったことを自由に書いていきたいと思います。

 

誰かに読んでもらうことも期待していますが、どちらかというと自分の文章能力を高めるため、考えをまとめるための書き物という感じで使っていきます。